59.5kg おせちブルー(。-人-。)

この
おせちの写真は2022年1月1日に撮ったもの


「うちで買う最後のおせちになるのかな…」と書いたのは、父が病院から塩分制限かけられたから。
こういった料理はとにかく塩分がすごい。
食べ物を長持ちさせるため酢を使う国もあるが、日本は塩を使うことを選んだ。
このおせちを食べた2日後、父は3か月入院することとなった。
塩分のせいではなく肺炎で…おそらく年末年始くらいいいか…とオードブルとかおせちとかごちそうばかりで興奮して食事して誤嚥したんじゃないかな。
2021年までは何も心配なくおせちを楽しめたのにね。

2022年で最後かと思っていたが、父は2023年のおせちも申し込んだ。

実はこれ、私の職場で販売しているおせち。
「別にノルマあるわけじゃないから頼まなくていいんだよ?」って言ったけど「姉ちゃんが世話になってる職場のおせち、今まで買っていたから買わないと落ち着かない。ノリ(妹)たちも食べにくるだろうし、俺は食べ過ぎないようにするから予約してくれ。」と言った。
実際、本当に食べたいものだけチョイスしてセーブして食べていたな。

今年が最後のお正月になるなんて、だーれも予想していなかった。
だから例年通りおせち注文しておいてよかった。
「おせち食べきれないから来てね~」と妹一家に声かけられたから、みんなで過ごす時間を持てた



例年通り、私の職場では今年もおせちの予約を受け付けている。
今まで健康診断前ダイエットモードではりきっていたから気にならないでいたけど、健康診断終わったもので
パンフレットなどが目に付く → 毎年父が予約していたなあと思い出す → 少ししょんぼり
昨日はそんなことでもやもやしてブログもかけなかった。
でも、そういうのも「故人を偲ぶ時間」で私に大事なのだろう



「俺の年だ!」とうさぎ年である今年をすごく喜んでいた父。
そのうさぎ年が終わろうとしているのを感じるのもちょっと寂しいんだな、きっと。
そして月日…年月過ぎる速さが年々加速していることも感じ「次は自分が人生終える番」と静かに覚悟を決めている。
何年後になるかはわからないけど、順番はまわってきている。
父のように本人でさえ「まさか今日がその日?」と予想しないまま人生終わるかも知れない。
そのときに「ああ、あれ食べておけばよかった!」そんな後悔だけはしたくないと思う。
だから食べたいものは食べておく。
これからも食べたいものを極力長く食べ続けられるよう、食べたいものを食べながらも自分の範囲で病院から〇〇制限なんてかからないよう気を付けていく。
父が亡くなってから父と親しかった何人かの方に「病院から厳しい制限言われていたのだろうけど…お父さんの食べたいもの食べさせてくれて本当にありがとう」と言われた。
父にこんなの食べさせていいのだろうか、こっそり私にばれないようにレトルトカレー食べている父を見逃していいのだろうか…などと葛藤した日々を思い出し、「あれでよかったんだ…」とホッとして涙が出た。
去年11月14日のお昼ご飯写真。

父は「この白いフライパンの鍋料理はうまいんだ!」といつも言っていた。
すごく薄味で酢を付けて食べるんだけど、この白いフライパンで作るとなんでも「これはうまいんだ!」という暗示を自分にかけているようだった。
父は父で私に協力していたんだなって思った。
今日の体重たち。

あ~、なんてことない胸のもやもや書けてすっきりした



地味~な話にお付き合いくださりありがとうございます



あ。突然ですが、このブログのタイトルわかります??
「能天気に北見でシニアログ2」という、なんともセンスない覚えづらいタイトルなんだけど





さっき私のブログ探してくれる方、どんな言葉で検索するのかな~と見てみたらこんなのがあったの




なんかとてつもなくツボ入っちゃいました~





ほっこりをありがとうございます



ではではおやすみなさいませ~



「すっきりしたなら年末に向けて少し減らしに入ろうか~♪」ぽちっとなしてくださると嬉しいですっ



この記事へのコメント
思い出たくさんあって羨ましいです😊
時にはお父様との世界に浸かって時を止めるのも悪くないですよ!
それがきっと明日へのエネルギーになるのだから。
お父様もきっと話したがってます🐇🐇🐇
私の父は10歳の時に亡くなりました。53歳の若さでした。
お酒とうどんが大好きな人だったようです。
一緒に写真撮った記憶がありません。遊んでもらったことあったのかな⁉️
ほとんど思い出すこともなかったのに、れいれいさんのブログを見て11月18日が命日だったことを思い出しました。
れいれいさんの思い出が私と父を巡り合わせてくれた!
ありがとうございます🧡
ちゃおさん、あああ…そうだったんですね。
53歳だなんて…私の去年の年じゃないですか!
10歳のちゃおさんと別れるの悲しかっただろうな。
私、親の転勤の都合だけど高校から一人暮らしになっちゃったし、妹ばかり気にしている父と合わない!なんて思っていたし、20代、30代とほんっとに「合わない!」なんて思って過ごしてきたから、父の最後6年一緒に過ごせたのはそれまでを取り戻すかのような濃厚な日々を過ごせて「千葉で菜の花畑見ながら死ぬ気でいたけど…引き上げて帰ってきて本当に良かった」という気持ちが大きいです。
ああ…写真といえば。
私や妹が写真撮るの好きなの、父の影響かも知れないです。
フィルムの時代、父はしょっちゅう写真撮っていたので。
一緒に撮るってことも「写真撮るよ~」と声かけてくれることもなく突然「激写!」って言って写真撮るからまともな写真がほとんどなくて「も~!もったいない撮り方するのやめて!」ってよく私怒っていました。
そんなこんな全部ひっくるめて思い出です。
明後日が命日なのですね。
「ちゃおさんとお友達になりましたれいれいです」って心の中でご挨拶させていただきます。
フィルムカメラで思い出したことが!
一時期一眼レフカメラに凝っていた時期があってズームレンズも購入して京都まで紅葉を撮りに一人旅したことがありました。
すっかり一眼レフの存在忘れてました。
当時はネガを大事に保管してたんだけどな!
それももう存在しませんが💦
またれいれいさんに思い出見つけてもらっちゃったねo(^▽^)o
墓前に「北見に友達できたんだよ!」
と報告させてもらいます💛
きっと大喜びです。
祖父の名前・・久三郎
父の名前・・久三
私の名前・・久代
大切な名前です(*^▽^*)
ちゃおさんの思い出たどりのきっかけになれて嬉しい💛
一眼レフで京都の紅葉!本格的ですね(ノ*>∀<)ノ
わあ…名前つながって…素敵です(*´∇`*)💛
私と妹の名前は、母がなりたかった名前って言っていました。
あ、母は母の名前気に入らなかったわけじゃなく、ほかになるとしたら…という意味です。
そういうエピソードあるって、つながり感じられますよね。