61.4kg 卒哭忌でした
今日は「卒哭忌(そっこくき)」でした。
父が旅立ってから百日経ち、もう悲しむのは卒業しよう、そんな意味合いの区切りだそうです。
四十九日過ぎてから
あちこち顔出す日常に戻したけど
昨日寝る時「明日卒哭忌だな…」と思い、去年からのこと振り返っていた。
去年1月になかなか深刻な肺炎で入院し、病院から「もう家に帰ることは考えない方がいいです」と言われた。
「絶対戻ってくる!」と信じて少しでも父ちゃんが望む「カフェ風」みたいになるよう台所のリメイクしながらも、心のどこかで覚悟もしていた。
私が出張で家をあけることはあったけど、私がいるのに父がいないなんて2017年7月から父と同居して初めてのこと。
振り返れば父が亡くなったときより父が入院していたときのほうが苦しかった。
病院から電話がくるたびドキっとした。
電話が来ても来なくても、いつか終わりを告げる連絡があるんじゃないかとザワザワしていた。
だけど父は復活した。
「美味しいものをまた食べたい」その一心でリハビリをがんばったのだ。
あっぱれ!と思った。
昨日ベッドでゴロゴロしながら「ああ、私、父が死んだと思っていないな。
入院している、そんな感覚でいるようだ。
また美味しいもの食べたいって帰ってくるって信じちゃってるな。」と思った。
人の意識って玉ねぎみたいに何層にもなっている。
「亡くなったんだからきちんと法要しよう」と思っている大人な私もいるし、「いやいやまた美味しいもの食べたいってケロッと帰ってくる」と思っている子どもっぽい私もいる。
「帰ってくるわけないでしょ!」と大人の私が子どもの私を𠮟りつけたら、すごく悲しくて泣くだろう。
「ふざけたこと言うな!何のために私帰ってきたんだよ、会いたいよ!」と泣き続けるだろう。
だから大人の私が寄り添って「そうだね、帰ってくるね。帰ってきたとき『なによこれ~♪』と父ちゃん喜ばしてやろう♪」
そんな感じでモリモリ盛り付ける。
それでいいのかなんなのか、父が亡くなったなんて初めてのことなのでよくわからないけど、それで気持ち落ち着いているならいいのかなと思う。
何年でも何十年でも自分が入院することになったとしても「父ちゃんはまた美味しいもの食べたい気持ちを原動力に帰ってくる」そう思っていてもいいと腹決めた。
父が亡くなってから、いい香りがしそうな石鹸やハンドソープを見つけると買うようになった。
手や顔を洗いながら香りを楽しむ。
悲しいとか「はあ…」とため息つきそうな気持が飛ぶような気がする。
ついついたくさん買ってしまうから、何かのとき誰かへのプチプレゼントにすることもある。
その人も香りでホッとしてくれたらいいなと思いながら。
今日はこんな気持ちのログだけしておやすみなさいませ



あ。今日は満月!体重もログしておこう♪
次の新月は9月15日…気温も下がっていくだろうから明日からむくみ流しのチャーーーーンス





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