60.8kg クリームソーダキャンドルで思い出した「そば香ろあん」
今日イオンへ行ったら「お盆の準備はおすみですか~」という感じでお盆の提灯などだだだーと並んでいた。
その端に見つけてしまった「クリームソーダキャンドル」「ホットコーヒーキャンドル」どちらも香りつき
父ちゃん、ステーキ食べた後は…
どれでも好きなデザート召し上がれ
うちのほうのお盆は8月13日からなので「今が売り時!」とばかりにおはぎやら、お寿司やら、生ビールやら、いろんな種類のキャンドルが並んでいてついつい大人買いしそうになってしまった
特に父の好物ってわけじゃないから買うの我慢したけど、なかでも気に入ったのが「からあげ」と「そば」
そばはこんな感じだった。
と、7月に妹と行った「そば香ろあん」(北海道北見市大通西5丁目11)を思い出した
メニューはこんな感じ。
私はお初だったので、妹と同じく鴨南にしようかとも思いつつ、隣の方がオーダーしたのが美味しそうだったので「ぶっかけそば桜えび」にしたわ
大正解!美味しかった~
ろあんお初だったし、美味しかったんだからブログに書きそうなものだけど書かなかった私。
7月4日だったので、まだ「いつもの私」じゃなかったんだろうな。
1か月経ってしまったけど美味しくいただいた記録を書く気になった…たったそんだけの戻り変化だけどとてつもなく嬉しいわ
話変わりまして…
昨日は父の年賀状を整理していた。
私は20年近く前から年賀状書くのをやめていたので私からの年賀状はないはず…だったのにあった
年賀状に使った写真は、2016年7月「誕生日プレゼント」と称して父を札幌へ連れて行って10年以上ぶりの弟に会わせたときのもの。
片道300㎞の長距離ドライブ。
妹は「父の体調がもたないのでは?」とかなり心配していたが、父と叔父は「会いたい」という気持ちが良いほうへ影響したのか元気アップしたほどだった。
「こりゃ~、毎年父の誕生日に会わせよう」と思った出来事だった。
その後関東へ戻った私は、意を決して2016年12月職場へ退職の意思を伝えた。
もうあとには引けない。
26年、人生の半分以上生活してきた関東を引き上げて私は北海道へ帰って父と同居する!そう宣言したのだ(大げさ)
となるとさ、この先父に年賀状出すなんてことするわけないよね??
じゃ、2017年の年賀状はだしとこ~って書いたのを思い出した
それにしても今じゃ考えられない文章だ。
「今年も遊んでくださいね」
今となっては「なぜに敬語なんだ??」って感じだけど、私と父の関係はそういう「よそよそしさ」があった。
表面上波風立てずに付き合うことはできるけど、父とは絶対合わない、心からわかり合うなんてことはない、私はそう思っていた。
だから「父が難病になった、この先介護が必要になる確率高い、そのために北海道へ帰って後悔しないか私???
本人が一人で生活できなくなったら施設に入ると言ってるんだし、今さら私と同居したって気を使うからいやなんだろうし、経済援助すればいいだけじゃない???」と3年自問自答し続け、悩みに悩んで70㎏まで体重はアップした
同居する決断して良かった
「病院で終わるのはいやだ、親父が残したこの家で死にたい」その思いを貫かせる手伝いができた。
(今住んでいる家は、上の写真の祖父宅を建て直したもの)
妹一家との同居も断っていた父を無理やりにでも説得できて良かった
同居しなかったら、私や妹とよそよそしい関係のまま父は一人さびしく旅立っただろう。
父は
「子どもに迷惑かけるくらいなら…
格好悪いところ見せるくらいなら孤独死上等!」くらいの覚悟決めていたのだろうけど、良かったっしょ?
私と同居して6年間、美味しく楽しかったっしょ??
「返事くらいしなさいよね~」なんて遺影見ると母の隣にいる父が
「イエイ」って言ってる気がした
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