63.5kg 「すずや食堂」「美幌峠」「TUMUGU Labo(ツムグラボ・つむぐラボ)」

何年前の今日は何をやっていたのかな…と、自分の過去ブログ見るのが最近の日課になっている。
父の手を引いてあちこち行けなくなった事実は寂しい。
だけど過去ログには「父と歩んできた」「父はこの6年ただ弱っていっただけではなく楽しみを増やし続けてきた」と確実に思える記録がある。
「父のログしても読んでくださる方にはつまんないだろうな…」なんて思いもあったけど、それでもブログに応援ポチしてくださったりコメントくださったりの皆さまや、リアル友達に支えられて私と父が楽しく生かされていたから記録残し続けることができたのだと深く感じて感謝



おかげさまで父がいなくて余ってしまう時間に悲しむ余地はない



2019年6月8日は焼肉愛ちゃんのお誘いがあり、お昼ご飯は「すずや食堂」(北海道北見市留辺蘂町泉355−11)へ行ったようだ。

私は3回目だったけど、父はこのとき初めて食べた「すずや食堂」名物モツラーメン

家に帰ってから何度も「うまかった、うまかった」と言っていた。

当時のログ文抜粋。
「友達と会うなら俺は遠慮しておくぞ、なんて言っていたんだけど、焼肉愛ちゃん、しげくん、花猫ちゃん、川ちゃんが気を使わせない対応してくれたから父もリラックスできたのです。






感謝感謝
」


「友達と会うなら俺は遠慮するぞ」と言っていたけど楽しかったらしく家に帰ってきてからの感想が…

ど、同窓会って…父ちゃん
何年留年してるんだよ~です





昔から父の感覚ってちょっと一般的とずれている?って思っていた。
20代の頃、千葉や東京の友達がくると伝えるとなぜか父が休暇とっていたことが多々あり。
私の意思確認もせず「〇〇へ連れて行く」って決めていたり。
そのずれがカチンと来て若いときの私はイライラっとすること多かったんだ。
でもそのずれた感覚のおかげで、私の友達のありがたいお誘いを受けることができて思い出たくさん作れたんだよね。
ずれた感覚をくださったご先祖さまありがとうございます。
イヤな顔せず父も仲間に入れてくださった友よ、ありがとうございます。
2018年6月8日は何していたのかな~と写真検索したら父の写真はなかったんだけど、出会って間もないかっちゃんと写っている写真発見。

私の隣にいるはしっ子ちゃん(今は札幌在住)のお誘い通じて出会った数人の中の一人だったかっちゃん。
初めて会った時から気があって仲良くなったパターンではなく、縁あってあちこちで会うようになって自然と仲良くなったと私は思っているんだけど
「かっちゃんのバッタリ率」はすごいものがある

私の父とかっちゃんが初めて会ったのはなんと美幌峠の駐車場(2019年9月3日)だった






北見市内でバッタリなら大した興奮しないけど、まさか50㎞ほど離れた観光地の駐車場でたまたまソフトクリーム食べているときに?!と私やかっちゃんは大興奮だった。
その4か月後である2020年1月14日、しげくんと待ち合わせして「TUMUGU Labo(ツムグラボ・つむぐラボ)」(北海道北見市豊地26−26)一番乗りしたら、二番目に入ってきたお客さんがかっちゃんだった


意外に父、私より人を覚えていられる人だったので、かっちゃんのことは「美幌峠の人」と認識していた

このときのしげくんの驚きと父の冷静な返しも面白かったな






「ここ3人ですよ?!」ってお店の人に伝えようとしていたんだけど、それ、私のですから返しちゃダメ~



皆さまのおかげさまでカエルの絵文字使うの増えてきています




ありがとうございます



この記事へのコメント
ブログを続けてくれてありがとう😭
お父さんの事を反芻するようにログしてくれてありがとう😭
お父さんが退院してから見るみるうちに、お元気になって行った様子は、お父さんのお顔にも現れていましたね…。自分ごとの様に本当に嬉しく思ってました。
私も、1年前に父が倒れてその後実家で介護生活が始まりました。なので、れいれいさんがブログで紹介してくれていた無塩パンや調味料など利用させてもらい、大変助かりました。れいれいさんのお父さんを自分の父に重ねていたので、この度のお父さんの旅立ちには本当に驚きとショックと、れいれいさん大丈夫だろうかと思っていました。私なんかのコメント送って良いのかどうか迷いましたが、れいれいさんのブログに支えられて、今現在来ている事をお伝えしたくて書かせて頂きます。
私が北見に引っ越してきて、北見の事を知りたくて、れいれいさんのブログに出逢いました。おんねゆ温泉であったイベント会場で「きたみSUN」をぶら下げている人を探しまちた。試食コーナーで発見してお声を掛けさせていただきました。
お父さんがよく行っていたレストランなどを通るたびに、「今日は行ってないのかなー」と赤い車をさがしてましたよ。
今日のブログを読ませてもらって、お父さんがコロナに対する気持ちがまるで私の様で(笑)家から出たくなかったのも、本当に勇気を持って外出出来たのは、れいれいさんとその仲間たちのおかげなんですね!
私の父は、絶対デイサービスには行かないと言っていたのですが、私の体調や母の体力の衰えから、もうこのまま同じ様な介護体制では身が持たないと言う限界に来て6月からデイサービスにお世話になっております。父は1日目から「楽しかった!○○さんと一緒にお風呂に入って気持ちよかった!」とほっぺを赤くして興奮して話してくれました。連絡帳には父より上の年齢の方と筆談で自己紹介し合っている写真など、とても表情の良い笑顔の父や利用者さん達がいっぱい写っていました。やはり「イベント」は大事だと思いました。れいれいさんが、その様なお仕事をなさっていたのもぜーんぶ繋がっているのだと、感激して読んでいました。お父さんが亡くなっても、お父さんがそこに居ると感じさせてくれるこのブログによって、父から一旦離れた自分の気持ちが溶け出してきたのを感じます。
実家暮らしになったので、北見の風景はれいれいさんの綺麗な色鮮やかな写真で楽しませてもらってます。若かりしお父さん素敵ですねー💓今頃お母さんに逢えているかしら。
取り止めのない内容で、失礼しました。御免なさい。
もおおおおお、ほんっと嬉しいポイント全部盛りのありがたいコメント感激です!
昨日から、何度も何度も読み返しています。
たけちゃんさん、以前私が「ブログきりかえます」のタイミングのときにコメントくださいましたよね。
あのときはブログ終了かと勘違いされたという話でしたが、勘違いとはいえ焦ってくださったなんて嬉しすぎると思いました。
本当にいろんな節目で大切なコト…ありがとうございます!
おんねゆのイベントのとき、話しかけてくださったの覚えています(*^^*)
正直なところ、街ですれ違って気付けるかと言われると自信ないんですけど、私の知っている人以外で「ブログ見てきたんです」って声かけてくださったのお一人だったのでそのことはすごく嬉しい記憶です💛
父のこと書いてもなあ…でもまあ、私の日記なんだからいいや♪なんてつもりで書き続けてきましたが、意外や意外、20代の頃から会っていない友達や、イタリア在住の日本の方からもメッセージもらったりするようになりました。
やはり「父」や「介護」という共通点が引き寄せ合うようです。
気持ちを分かち合える、支え合える、そんな感じでしょうか。
私、介護施設で仕事していて「親を施設に預けるなんて…情けない…」とお考えのご家族さまもいらっしゃることに気付きました。
でも「家族だけ」「身内だけ」でどうしても行き詰る場合もあるんです。
その度合いはそれぞれで、本当にもう施設を利用するしかないところまでの方もいらっしゃいますし(去年父が入院したときは最低でもそれと言われました)なんとか家で介護できる、だけど体力や気持ちが行き詰る場合もあります。
そんなとき、外へ目を向けることができれば負担が軽くなる場合があります。
必ずしもというわけではないですが…でも、何が変わるわけじゃなくても気持ちは変われる可能性があります。
あ…こんなこと長々書かなくても、たけちゃんさんは十分にわかっていらっしゃる、本当に嬉しいです。
お父様、デイサービス良かったですね!
私の父も「絶対いやだ!」と言っていたけど、入院して戻ってきたら家のお風呂に入れない状態だったのでデイサービスをシブシブ承諾。
たけちゃんさんのお父様と同じく1日目で「いや~!(お風呂で)殿様みたいだった!」「今日はケーキが出た!」「誕生日祝いしてもらった!」なんて興奮してしゃべって大はしゃぎでした。
亡くなる前日、ケアマネさんに「デイサービスの人はすごい。俺がいつもより体調良くないときは言わなくてもわかってくれる。あれはすごい!気づかいがすごい!プロだ!」と感動を語りまくっていました。
良いスタッフさんに出会えて幸せでした。
しかも最後ご迷惑おかけしちゃったけど、デイサービスに行く日に倒れ、いつも通り迎えに来たスタッフさんも「うそでしょ!デイサービス行きますよ!」って必死に蘇生試みてくださるなんて…父幸せすぎますわ。
たけちゃんさん、お父さんのデイサービスでの楽しいお話、たくさん聞きだしてあげてくださいねo(^▽^)o
そういう話をしているとき、脳から良いものが出るんですって♪(もっといい表現できないのかともどかしい私)