62kg 「思いやりの最後をありがとう」4月から父にあった変化

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今日の北見市の天気は曇り一時雨、最高気温18度、最低気温7度、注意報は雷・濃霧・低温…ストーブつけています。

父が亡くなって11日経ちました。
11日しか経っていないとなるとまだまだ私が深く沈んでいると思われるかも知れませんが、自分でも不思議なくらい落ち着いています。
多分…わかりやすい変化があったため、心のどこかで覚悟していたからだと思われます。
今日は父に感じていた変化をログ。

2月17日の日記で、父が要介護3から要介護1になったとログしていた。
ケアマネさん、デイサービスの方が「去年の春と比べたら本当にすごい変化ですよね!一人でできることが増えて驚きです!」「こんな言い方おかしいですけど…正直に気持ちを言うと去年の春の状態を見たときは状態が良くなるとは思っていませんでした。」と言っていた。
と書いたけど、私も同じ感想だった。

要介護3から要介護1って…父も喜んでいるし私も嬉しいけど、ちょっとありえなくない??
急に状態が変わる可能性もあるということで、今後は半年ごとに認定することになったのだけど。

「美味しく食べる幸せ」を1日でも長く感じたい、もう入院はしたくない、その気持ちが強かったから父は頑張れたんだなと納得した。

父が頑張っていたのは、家計簿つけること(私が買いものしてきたレシートを虫眼鏡で見て記帳、脳トレの代わりだった)・トイレのたびに手すりにつかまって足の曲げ伸ばし筋トレすること・ペットボトルを利用して息をぶくぶく入れるくらいだったけど。
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自分で作れたと得意げだった
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3月は特に問題なく元気な父ちゃんだなって思っていた。
3月30日私の誕生日も元気モリモリだった。
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4月に入ってから「あれ?具合悪いのかな?」と感じることがちょこちょこ出てきた。

一番気になったのは「ときどき朝起きるのが遅くなった」こと。
本人も「いやあ、寝坊した、すごい寝てしまった、なんでだ?」と不思議そうだった。
デイサービス行く日以外、特に早起きしなくちゃならない理由はないのだけどそれまで4~6時に起きて朝食をすませ、私が夜勤明けで帰る頃にはテーブルに座って新聞読んでいた父だったので、夜勤から帰ってきて9時くらいまで寝ていられると「と、父ちゃん?!い、生きてるか???」とビビることが何度かあった。
北見市は1日の寒暖差が激しく、朝冷え込むことが多いからついつい寝ちゃうのかなと思っていた。

寝る時間が長くなると…という話もあるが、そんなそんな、まだお迎えは早いだろう。
とはいえ、父がかかえている難病の影響で寝たきりになる可能性は日々近づいている。
私ったら腰痛だ、ヒザ痛だなんて言ってられないぞ
よし!まだ父ちゃんが元気で妹に留守番お願いできるうちに、私は南国一人旅行って元気チャージしてこよう!
本格的介護になったら旅行なんて行けなくなるから10年分くらいまとめて楽しんでこよう!という気持ちで5月に7月の一人旅を計画した。
妹には留守お願いする都合があるので7月の一人旅のこと伝えたが、父にはギリギリまで伝えないつもりだった。

ぎょっとしたのが5月11日。
24日、父が亡くなった時と似たような状況だった。
新聞がとられていなく、カーテンがあいていなく、部屋の電気もラジオもついていた。
24日と違ったのは父が倒れていた場所がベッドの横じゃなく、ベッドに寄りかかるように倒れていたことだった。
「父さん?!」と大声で呼びかけたら起きた。
とりあえず生きてはいたからホッとしたけど、よくよく見たら仏壇ある部屋のものがずれている。
普段一人で近寄らない部屋なのに何してたん?
転んだのか?どこか打ってないか?痛くないか?
いろいろ質問したけど「仏壇のところなんて行ってない。何があったか覚えていない。」と言う。

その日から咳をするとあばらあたり痛がるようになり、やっぱりどこかで転んであばらにヒビ入ったのかな?なんて想像した。
以前もあばらにヒビ入ったことあって、結局病院行っても湿布や痛み止めでしのぐくらいだから病院行かないとなった。
安静にしてなきゃダメだよと伝えた。

次の変化が、トイレに起きる以外はノンストップで朝までベッドで横になっていた父なのに、ふと気づいたらベッドに座っていることが増えた。
何かあったらすぐわかるように父の寝室は閉めないでいたけど、ふと見ると暗い部屋で黙って座っていることがあって何度もぎょっとした。
「どうした?具合悪いか?」と聞くと「ん?いや、別に…ん…まあ、ん…」といつもはっきりしないモヤモヤな返事で寝ぼけているのかと思った。
ちょっとばかし「だ、誰か来ているのかな💦」なんて思ったりした。

5月18日「そういえば常呂のホタテづくし定食、しばらく食べていないなあ。食べたいなあ。」と突然言い出した。
ん~、あばらにヒビ入っているかも知れないんだから車の振動も避けたいし、長距離の外出は控えて来月にしようとなだめた。(ちょっと後悔事項)
その夜はベッドに入って真夜中に「バナナ、バナナ、バナナ~」と叫びだしてびっくりした。
「今買ってこいってこと?」と聞くと「い、いや…」と言う。
まったく…と思いつつ、夜中バナナを買っておいた。
朝起きて父は「バナナうめ~、バナナうめ~」と言いながら食べていたけど、なんかちょっと父じゃないような違和感があってじーーーっと見つめてしまった。

そして私が「ああああ…私のせいか?!」と自分を責めそうに気になってしまったのが5月19日夕方!
このことログするのはやめようと思っていたけど落ち着いた今はログする気になった。
父は5回目のコロナワクチンを接種した。
父が亡くなったのは5月24日、5回目のワクチンを受けて5日後だったのだ。

私はコロナのワクチンがいい、悪いという話をしたいのではなく…どんな薬でも何かしら副作用の可能性があるわけで、高齢の方が大腸がん検査で亡くなったという話も聞いたことがあるけど5年前だったかな?医師に提案され本人も受けると言うので父の大腸がん検査を実行したこともある。
リスクを承知した上で本人が納得して希望するなら止められない…特に父の場合言い出したらひかない。
ただ、4月から「あれ?」ということ感じていたのだからもっと強く「今5回目のワクチン受けなくてもいいんじゃない?」と止めておけば良かったのかなという後悔が残っている。

4回目まではほとんど副反応がなかったが、5回目にして熱が出た。
それで20日は食欲もなく元気がなかったのだが、21日懐かしい方が訪ねてきてくれたので上機嫌になり。
23日まで食欲も普段通りで機械の整備に来た方やケアマネさんに対して妙にハイテンションだった。

「中治り現象」だったのかと思う。

葬儀が終わり落ち着いて妹や親せきと話していて
「ワクチンが引き金になったのかも知れないし、そうじゃないかも知れないけどそれなりに予兆はあったということなんだね。
きちんとお父さんの様子をみていたかられいれいはそれを感じることができて心のどこかで覚悟もしていたと思うわ。
全部ひっくるめてお父さんは寿命をまっとうしたのよ。
今まで世話掛けた娘に極力ショックを与えないよう少しずつ変化を見せて…なのだから、お母さんやご先祖さまが迎えに来て導いてくれたんだと思うわ。」となった。

私自身、買って1年も経っていない財布のジッパーが壊れたことやヒザが腫れたことになんとなくメッセージみたいのを感じていた。
そんなの気のせい考えすぎと思ってもいたけど、こじつけでもなんでも「お知らせされていたんだ」と思う方が納得いく。

そしておととし12月末、突然父が食卓テーブルとソファーを買い替えるとわがまま言い出し、半分ケンカになってもがんとひかなかったことを思い出す。
2022年1月3日救急車で運ばれて入院。
重篤な肺炎。
本当はそこで終わっていたのかも知れない。
戻ってこれないことを感じて、残される私のためにテーブルとソファーを新調してくれたのかもしれないと思った。

だけど父は奇跡的に3か月後退院してきた。
酸素濃縮器の管付きで足どりもおぼつかない状態で。
なのにぐんぐん父は力を復活させ、無理だとあきらめていた温泉一泊旅行も4回行くことができた。
神様なのかご先祖様なのかどなたからかわからないけど、最後の私と父の能天気ライフを14か月プレゼントしてくれたのだろうと思える。
入院した肺炎は、おそらく誤嚥性肺炎なのでまた起こる可能性があった。
私は心のどこかでいつも覚悟していた。

だからこんなに早く気持ちが落ち着いている。

父ちゃん、なんと言っていいのかわからないけど「思いやりのある最後」をありがとう。

~追記~
2023年1月18日のログでも父の体調に不安を感じていた。
私も昔左目が真っ赤になり「ご先祖さまからのメッセージ」と言われて消えたことがある。
1月17日は祖父の誕生日だったのと関係あるのかな、なんて、なんでもこじつけて満足している。

暗いログばかりでかたじけないですが「今はいい、許す!」ぽちっとなしてくれると嬉しいですっ

~追記~
ブログ仲間のしげくんが父の思い出作ってくれました。ありがとう!!
スマホで画面はばけちゃう場合はコチラから。

この記事へのコメント

2023年06月04日 15:15
素敵な「父さんありがとう」の動画でした。
お父様は、亡くなりましたが、無くなってません。

私の母親も50年以上も昔の白黒の姿で、
スマホの待ち受け画面で、いつも「ニッコリ」微笑んでいます。
れいれい
2023年06月05日 14:13
★ COSぇもんさんへ ★
素敵なお話ありがとうございます!
はい、父も、13年前に亡くなった母も無くなっていません。
そのときがきたら、父の遺影は母の隣にいきますが、そのときは母に向かって笑っている姿になりますo(〃^▽^〃)o
早く並んでいるところを見たいです。