62.5kg ありがとうございました。このまま続けていきます。

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父が亡くなって8日経ちました。

5月24日のブログの最後に

しばらくは…能天気になれそうにないです。
ということでブログしばらくお休みします。
このブログは父と一緒の私が能天気をつづっていく日記だったから再開するとしたら違うブログに切り替えます。

と書きましたが、違うブログに切り替えたくない気持ちになりました。

13年前、母が亡くなったとき私は東京暮らしでした。
母の葬儀が終わって東京へ戻り
「もっとあちこち旅行に連れて行きたかった…67歳で亡くなるなんて早すぎるじゃないの!」
と思い出しては泣く日々が続きました。

通勤時の電車で涙が出てきて鼻もぐずぐず…周りの方にチラチラ見られて参ったこともありました。

母の身内は関東にいたので母は年に1~2回は関東へ遊びにきていたし、私も年に1~2回は北海道の実家へ帰省していて、そのたびブログにログを残していました。

ブログというのはキーワードがヒットすると検索結果に記事単位で表示されやすく…たとえば「〇〇ホテル 朝食」なんて言葉で検索されて私がそのホテルの朝食について書いていたとしたら、その記事だけ検索かけた方に表示される可能性があります。

その記事だけを読んでくださった方が
「お母様、お茶目な方ですね!
仲が良い母娘でうらやましいです。
これからもあちこち旅行へ行ってお母様と楽しんでくださいね。」
「お母様とのおでかけ、〇〇ホテルがおすすめです。
ぜひ今度行ってみてください。」
なんて過去記事にコメントくださることがありました。

たとえ過去記事でも読んでくださってコメント残してくださった方がいらした!となるとブロガーにとってはとても嬉しいコト。
嬉しいのですけど「実は〇年前に亡くなりまして…」なんて書くのが辛い、そしてせっかくコメントくださった方に「しまった!」と気を使わせてしまうのが申し訳なさすぎる…そのため母が生きていた頃のブログは私だけが読めるようパスワードをかけて表示されないよう封印しました。
そのパスワードを忘れてしまい、今では私も読めない状態になっちゃいましたが( ;∀;)

その経験があったので、父との日常を綴ってきたブログはまた封印しなくちゃ…と考えたわけですが。。。

「父にもう会えない」のは当然寂しくて悲しいことなのですけど「いつかその日がくる」ことは心のどこかで日々覚悟しながら同居始めて6年過ごしていました。

脊髄小脳変性症という病気だからそのうち寝たきりになって大好きな外食できなくなって弱る…とか、かなり足の動きが悪くなってきているから転倒して打ち所悪くて…とか、何度言っても食べる時の一口が多いしよく噛まないから誤嚥性肺炎で入院してそのまま…とか、予想していました。

でも父は、亡くなる直前まで普通にラジオつけて楽しみにしている週1回のデイサービスへ行く支度をしていたほど元気だった、転倒して頭を打って亡くなったか?!と思ったけど検死の結果「頭に病気はなかった、頭含めカラダのどこにも外傷無し」とのことだった、母のようにモルヒネを使ったりたくさんの管につながれたり長期入院の末病院で亡くなるというパターンでもなかった。

父が警察へ運ばれてすぐから親切なご近所さんが数人いらしてくれて何をどうしたらいいとか教えてくれたり、なかなか動けない私の代わりに準備してくれたりしながら「出かけるの見ていたけど本当によくやっていたよ。あちこち連れて行ってもらってお父さん楽しい日々だったはずだよ。」と言ってくださったり、訪問介護の仕事をしている妹も「あちこちのお宅訪問するけどさ、うちの父ちゃんほど外食や旅行楽しんでいるのって珍しいよなって思っていた。」なんて言ってくれたりした。

夜勤明けで倒れている父を発見したときから「茫然」と「プチパニック」が交互にあらわれる感じで2日間は泣いてばかりいたけど、だんだん落ち着いてきて父の様子、周りの方や妹の言葉を思い出し、24日のブログにいただいたコメントや友達からのメッセージを読んでいるうちに

「…突然の別れはショックでかなり悲しいことだったけど、
亡くなり方としては父の望み通りだったんだな。」

と思えた。

実は2か月くらい前から「もしかしてお迎え近いかも?」と感じる変化がいくつかあった。
いきなり「お迎え」はないだろうと思ってはいたけど、来年あたり寝たきりになるかも知れない、いよいよ本格的な介護生活に入るかも…なんて覚悟して、その前に妹に協力してもらい今年の夏は1週間一人南国旅を満喫してパワー充電しておこう!と計画していた。

父の父、母、…みんな5月に亡くなっている。
「これ以上カラダが辛くなる前に…」と迎えられて導いてもらえたのかなと思う。

父が亡くなって悲しい、また母のときのようにブログを封印しなくちゃ…もうブログ書く気にもならないな…と思っていたけど8日経って気持ちが変わりました。
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父が亡くなっても私が今の家に住み続ける限り父と一緒にいる感覚です。
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父が亡くなった24日の庭のつつじ。
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28日にはこれほどに。
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父の写真、左向いて笑っている写真にしたから眺めて笑っている感じで良かった。
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母のときと違って葬儀を終えてから泣いていないです。
父ちゃん、辛い状態のカラダから解放されたね、大好きな花がたくさんで良かったね、そう思えるんです。

たった8日でここまで気持ちが落ち着いたのはブログを通じてメッセージくださった皆さまのお力も大きいです。

初めてコメントくださったポケット小僧さん
「でも、お父さま、大往生でしたね。
れいれいさんの手作りのご馳走を食べて、ケアマネさんとノリノリで話して、れいれいさんがお仕事に行ったあとでそっと逝ってしまうなんて、凄すぎます。
幸せな晩年だったと思います。」
「突然なんて辛すぎる」と思っていたけど「そういう考え方があるんだ!」という気付きをくださいました、ありがとうございます。

プリンさん
「晩年は闘病をしながらもれいれいさんと一緒に過ごして、温泉やお出かけ、美味しいものをたくさん食べてとってもいい笑顔で、食いしん坊の私もそんなお父様の笑顔を見るのが嬉しかったのです。」
単に食べてばかりの日記しか書けないけど…なんて思う日が多かったけど、嬉しいコメントありがとうございます。

ピカちゅうさん
「7月に日の出岬で会えるのを楽しみにしていたので本当に残念です。」
予約キャンセルしないで、妹と日の出岬泊まることにしました。
父が一番に気に入っていた貸し切り風呂に妹と一緒に入ったら父も喜ぶかな~と思って。

COSぇもんさん
「お父様が、れいれいさんのブログを見ていたなら、
ブログと「れいれい」さんが、お父様の「生きる」エネルギーだったのでしょう。」
2年前までは父と旅行したときのログを見せていました。
父は「おお!俺がモリモリ食べているところ世界に発信されているんだな!」とはしゃいで見ていました。
2年前に父の弟が亡くなって「俺より先に…。次は俺の番、老いぼれていく自分の写真見るのは悲しくなる」というのでブログ見なくなりました。
でも私がブログ書き続けていて妹や親せきがブログ通じて父の様子をチェックしているのはわかっていたし、ブログに写真アップされること意識して活力になっていたと思います。
COSぇもんさんの着眼点、さすが!と思いました。

ゆうさん
「介護はどんなに尽くしてもみんな後悔が残ります。
れいれいさんはとても頑張ってましたよね。
れいれいさんのおかげでお父さんも安心して生きられたと思います。」
ブログ始めた2005年から交流してくださっているゆうさんにそう言われると…あらためてむくわれた感じがします、ありがとう。

コメント欄ではないけど、ちゃおさんもメッセージありがとうございました。

今日、久しぶりにブログ開いて驚いたことがひとつ…まったく更新していなかったし、24日の記事に「応援ぽち」つけていなかったのにも関わらず、応援ぽちし続けてくださった方がいらした★
昨日までは「もうブログ書くこともないかな…」と思っていたけど、突然また無性に書きたくなりました。

そして24日は「ブログ切り替える」と書いたけど、この家にいる限り父と暮らしていると感じることができるので、ときどき父と楽しんできたできごとを振り返りながらこのままブログを続けようと考えが変わりました。
初めての喪主…やらなくちゃならないこと多々あって毎日更新とはいかないかも知れないですけど、よろしければ時々北見ライフのぞいてやってくださいませ。

突然まとまりなく長々書いてしまいましたが「それでいいと思うよ~今日は許しちゃるっ♪」応援ぽちっとしてくださると嬉しいです

あ。今日の体重はこんな感じです。
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父がこんなことになる前から「62㎏以上が定番になっちゃったな…」と思っていたけど、父が亡くなった翌日61㎏だった!
おそらく泣いてばかりいたから??いつもむくんで丸い足の筋が浮き出ていて「水分抜けた!」状態で、寝ていて足がつるほどでした

この記事へのコメント

ちゃお
2023年06月02日 06:33
れいれいさん

まだ気持ちの整理もできていない中、ブログの再開をありがとうございます。
正直もうれいれいさんとの繋がりが絶たれちゃうかな?と毎日ログしながら思っていました。たった4ヶ月だったけど楽しかったな!この先、忘れることはないだろうな!と頭の中をぐるぐると。
お父様との楽しい日々を見ながら、母を思い出していました。お父様と同じく、お花が大好きで笑顔がとても可愛い母でした。晩年は施設にお世話になり時々会いに行くくらいでした。れいれいさんがお父様のために、東京から北見へ戻られたと知った時に、私のもその勇気があったら、もっと母に会う時間を増やしていたらと後悔したり、いろんな場所へ連れて行ってる姿を想像しながら笑顔の母に癒されたりと、いろんな感情をこのブログで頂いていました。まだまだ見きれていない過去ログがたくさんあります。
封印される前にしっかりと辿ってみたいと思います。

お庭のツツジ綺麗にですね。お父様も喜んで見ていますね。
まだまだお忙しい日々が続くと思いますが、どうぞご自愛下さい。
身体悲鳴あげていませんか?
ゆっくりとゆっくりと適度に適度に歩んでいきましょう!
れいれい
2023年06月03日 06:45
★ ちゃおさんへ ★
ちゃおさん、メールありがとうございました。
「どうして?どうして?」とか「何が悪かったの?」とか頭ぐちゃぐちゃになったときちゃおさんのメールやブログのコメント、友達からのメッセージを読み気持ちを落ち着かせていました。
4日間の間でいろんな変化がありました。
ブログも無理だな…って思っていたけど「応援ぽちしてくれている人がいたなんて」と気付いただけで何かがむくむくして急に書きたくなりました。
28日から31日まではカラダ悲鳴あげていました💦
全身痛くて、座っていてもどうやっても右足だけ靴下はけなくて妹に履かせてもらうくらいに💦
よくまあ26日のお通夜、27日の告別式など何も痛み感じないでいられたものだとジリちゃんに感謝、すごい反応だなと思いました。

北見のリアル知人が、私のブログ通して自分の大切な誰かを思い出して愛しんでいる人もいるはず…とメッセージくれました。
前々から私のブログ読んで「自分は親に何もしてやれていない」と落ち込んじゃうメッセージをいただくこともありましたが…「想い」が一番だと思います。
私はたまたまピタっとはまったタイミングが幸いにもあっただけのこと。
北海道へくる前に転職したのが介護施設のイベント係だった、定年までいるつもりだったけど「外出やイベントってこんなに大事なんだ!」と身をもって知ることができた、ぽそっと一人暮らししている父のことが気になって仕方なくなった…という流れがあってのことです。
私の転職先や父が別の状態だったらまた違う選択だったわけです。
同居を選んだのは本当にたまたまだけど幸いにもそういうタイミングがあった、それだけ。
同居していなくても「想い」や「つながり」を届けることができればよいのだと思っています。