昨日は…
昨日は、月に一度の父が使用している酸素濃縮器点検整備の日でした
タイミング悪く、担当の方がいらして作業しているときにパンが焼きあがっちゃいました
クランベリーとクルミ入りパン。
焼きたてのサクサクっとしたヘリが大好きな私と父。
作業しているところ悪いなあ…と思いつつ、このタイミングでしか味わえないサクサクパン。
担当さんが背中向けて作業しているのをいいことに、父と私、こっそりヘリを食べて声に出さないけど「美味しいね」とやりとりしました。
昨日のお昼はニンニクみじん切りとゴロゴロひき肉を入れた麻婆豆腐と、初めて作ったケンミンの焼きビーフン。
父は「初めての味だ!美味い!美味い!」と食べました。
昨日は月に一度ケアマネさんが訪ねてくる日でもあったんだけど、父はいつになくノリノリで話していました。
デイサービスの方々はすごい!とか、私がいろいろ美味しいの作ってくれるんだ!とか。
昨日私は用事があって18時30分頃家を出ました。
父が寝る支度を終えてベッドに入った頃でした。
「じゃあね」と言って出かけました。
いつもは父が寝てしまった遅い時間に出かけるので用事があって早く家を出て良かったです。
今朝、夜勤から帰ってきたら父は帰らぬ人となっていました。
「ウソでしょ!」と叫んだけど嘘じゃなかったです。
背中に手を突っ込んだらまだ温かさが残っていました。
119電話したところ、広い場所へ父を移動できますか?と言われました。
私の力では無理でした。
ちょうどデイサービスの日だったので、いつものスタッフさんがいらして父を茶の間へ運んでくださり、119電話の方の指示に従って蘇生を試みてくださいました。
一生懸命胸部を電話越しのリズムに合わせて圧迫しながら大声で呼びかけてくださいました。
「デイサービス行きますよ!」って。
去年1月3日に肺炎で入院し、もう家に帰れると思わないでくださいと言われたけど「食べたい」一心でリハビリ頑張って2022年3月16日に退院してきた父。
ちょうど1年たった2023年3月16日、初めてのコメダ珈琲店で大満足な食事をしました。
大好きで何度も行ってかまってもらって上機嫌だった「まんぷく炭火焼肉 喰らうど」
4月27日に行ったのが最後となりました。
このとき初めて食べ放題にし「いろいろ食べられていいな、またこれにしよう」と言っていたな。
大好きな「ウエスタン泉町店」のスタッフさんにも、本当にお世話になりました。
5月7日が最後でした。
5月12日、定期受診だったけど6時間くらいかかった病院…終わって遅めの昼食スシローで美味しいの食べて大満足していました。
5月13日ひがしもこと芝桜まつりへ行き、これが最後の外出・外食になりました。
5月21日、懐かしい方が訪ねてきくてださり上機嫌でした。
先ほど父の携帯電話を見てみたら…
お礼のメールが残っていました。
連絡したケアマネさんも酸素濃縮器の担当さんも「昨日あんなに明るくお話していたのに!」と驚かれていました。
私も驚きです。
父が残したもの…悲しみばかりじゃなく、一緒に暮らした6年間は笑いも多くあり。
妹やご近所さんに「いろんなところ連れて行ったり美味しいもの食べさせたりよくやった!」と言われ「父のイベント係になる!」つもりで関東生活引き上げて北海道へ帰ってきた甲斐があった、むくわれたなと思いました。
でもしばらくは…能天気になれそうにないです。
ということでブログしばらくお休みします。
このブログは父と一緒の私が能天気をつづっていく日記だったから再開するとしたら違うブログに切り替えます。
今日の庭。
ぶわーっと咲いたツツジ見るの楽しみにしていたのにな。
なんてことない私と父の日常を気にかけてくださった皆さま、本当に今までありがとうございました
この記事へのコメント
コメントするのは初めてですが、ブログはれいれいさんが北見に帰るかどうか悩んでいた頃から読んでいます。
お父さまの笑顔の写真を見るのが大好きでした。
もう、あの笑顔を見られないと思うと、私も悲しいです。
でも、お父さま、大往生でしたね。
れいれいさんの手作りのご馳走を食べて、ケアマネさんとノリノリで話して、れいれいさんがお仕事に行ったあとでそっと逝ってしまうなんて、凄すぎます。
幸せな晩年だったと思います。
しばらくは忙しいと思いますが、れいれいさんもくれぐれもご自愛ください。
このたびは、ご愁傷様です。
お父様のご冥福を心よりお祈りいたします。
私が一方的に勝手にブログを拝見させていただき、お父様とれいれいさんの日常に、一喜一憂してきたわけですが、今回は私もかなりの衝撃を受けました。
お父様に、まず長い人生を歩まれたことにお疲れ様でした、という言葉をかけさせていただきたい、と思いました。
そして、晩年は闘病をしながらもれいれいさんと一緒に過ごして、温泉やお出かけ、美味しいものをたくさん食べてとってもいい笑顔で、食いしん坊の私もそんなお父様の笑顔を見るのが嬉しかったのです。
れいれいさんは、そんなお父様を支え笑顔にして、お友達さんとの交流にも全力で、自分のメンテナンスにも余念がなく、どうしていつもそんなにパワフルなのだろう?と私の七不思議のうちの一つになっています。
お父様。この前ご友人さんに会えて良かったですね。
2013年より運動機能が少しずつダメになる「脊髄小脳変性症」という難病にかかっていることがわかり、年々できることが減っていく喪失感をもちながら父は約10年生きてきました。
2017年から同居を始めた私は、いかに父の喪失感を吹き飛ばし笑う時間を多くひきだすかということに力入れていました。
私一人では叶わなかったことがたくさんあります。
ブログを通じて気にかけてくださったりアドバイスくださったり励ましていただいたり…感謝申し上げます。
また、リアルなお付き合いでは、外食や旅行にまで父を同伴させていただきご迷惑おかけしたことも多々あったはずなのに、嫌な顔ひとつせず、ゆったりと笑顔で迎え入れてくれた友人たち…本当にありがとうございます。
父は「どうして…どうしてみんなこんなに優しくしてくれるんだ、嬉しすぎて眠れない、感謝しかできないのがもどかしいけど嬉しい!嬉しい!」と笑顔でした。
本来なら、去年1月救急車で運ばれSpO2が75%、足の色は土のような紫色、爪は真っ白、日赤で「もう家に帰れるとは思わないほうがいいです」と言われたときに終わっていた命だったかも知れません。
病院の医師から穏やかに静かにそのことを告げられ、82歳で重篤な肺炎…私は心のどこかで覚悟決めました。
しかし父は「家に帰りたい!また美味しいものを食べたい!」一心で復活しました。
復活できたのは父や私の力ではなく、それまで楽しい思い出や刺激をくださった皆さまのおかげさまです。
リアルにお会いしたことがなくてもブログを通じて元気ぽち!を送ってくださった皆さまのおかげさまです。
振り返れば、奇跡的に退院した去年3月から5月24日までの14か月は皆さまから「生かさせて」いただいた大切な日々のプレゼントでした。
生まれたての小鹿のような父の体力も回復し、あきらめていた旅行も14か月の間に4回も行って一緒に温泉入ることができました!
今年3月に要介護3から要介護1になれたのも皆さまからいただいた活力のおかげでした。
死因は「急性心臓死」と診断されました。
転倒して打ってしまったかと思われた頭はまったく外傷も病気もなく歯は8020表彰されたまま残っておりましたが、心臓が少々早めに休みたくなってしまったようです。
ゆくゆくは寝たきりになることが確定しているかのような難病を抱え、その姿を誰にも見せたくない、だけど自宅で死にたいと望んでいた父の願い通りとなりました。
心からお礼を申し上げます。
父の笑顔の写真をたくさん残せたのは皆さまのおかげです。
父に代わって再度、本当にありがとうございました。
写真に写るお父さんが旅立ってしまったなんて信じられません。
7月に日の出岬で会えるのを楽しみにしていたので本当に残念です。
ご冥福をお祈りしますとともに、れいれさん、ゆっくりゆっくりね。
コメントは、控えるつもりでしたが・・しました。
お父様が、2013年から難病と闘い、辛い闘病生活を過ごされてるので、
最後の時は、苦しみが少なかったのだと思いたいです。
私の母親は、病室のベッドで苦しみながら
息を引き取とるのを見取ったので、思い出すたび、胸が絞めつけられます。
お父様が、れいれいさんのブログを見ていたなら、
ブログと「れいれい」さんが、お父様の「生きる」エネルギーだったのでしょう。
私は、そう思います。
急な事に驚きました。
多分お父さんご本人が1番驚かれてる事でしょう。
お父さんのご冥福をお祈りいたします。
れいれいさんもお疲れ様でした。まだ色々やる事はあると思いますが体に気をつけて!
介護はどんなに尽くしてもみんな後悔が残ります。れいれいさんはとても頑張ってましたよね。れいれいさんのおかげでお父さんも安心して生きられたと思います。